過去のお話その四 入院
検査から約二ヶ月がすぎました。
ようやく手術前検査の為の入院の日になりました。
不安に満ちた二ヶ月で、もっと早く手術をしてほしかったが、そうも行かない様だった。
家族に毎日不安を打ち明け、仕事量を減らし、風邪などひかないように気をつけてきた。
しかし出血が引き金になったのか、腰部分がやたらと腫れてきている。
くびれなどまったくなく、ドラム缶の様な体系になっていて、少し長めに座っていても腰がひどくだるく、すぐ横になる生活が続いていた。
仕事も早期に休暇に入った。
わたしの仕事はおそらく世間で言うブラック企業だが休みだけは自由にとれた。
給料は最低、昇給も賞与もない。
働いている人は親の財産や奥さんの収入に頼っている人ばかり。
私はというとバイトをしたり、貯金を使ったりしながら生きてきた。
転職の機会はうかがっていたのだが・・・。
だけど休みだけはとれる。
入院の日前日、上司に今日の午後から早引きをさせてもらい、明日からしばらく皆に迷惑をかけますがよろしくお願いしますと伝えた。
返ってきた言葉は
「俺も今日友達のパーティーあるからお昼でかえるわー」
だった。
今でも許せない無神経な言葉を浴びせられたのを一生覚えてるだろう。
病院についた。
最近は入院が非常に楽になっているようだった。
入院キットみたいなタオルや備品の期間レンタルもでき、引越しのような荷物ももたず
ほぼ手提げ袋ひとつで病院にきた。
多少の手続きはあるが早めに病室へとたどり着くことができた。
この頃になると立ち続けていることが難しく、すぐ足が痺れだす様になっていた。
そして血圧の調整がうまくいかず上が160を超え、下も120まで上昇していた。
手術の時に降圧の処置をしなければという看護婦さんの話も聞いた。
この二ヶ月、腎臓の事を色々調べた。
単に尿を作り出すだけでなく第二の心臓と言われるほど人体に必要な物
血圧の調整もしているようで、癌のせいで調整ができていないようだった。
そんなものをひとつ取り出さないといけない事に、かなりの恐怖感を抱いていた。
しかし家族のはげましと支えでようやくここまで来れた。
なんとしても勝ちたい。
勝って帰りたい。
息子や妻にこれ以上辛い思いさせたくない。
しかし、思い描いていた通りにやはり事は運ばなくなっていきました。